07 Mar黒谷さん②

先週からの続きです。

徳川幕府は幕末、暗殺や強奪が日常化し、

手のつけようのない状態になっていた京都の治安維持のため

京都守護職を作りました。京都守護職に任命された会津藩は、

文久2年、本陣となった金戒光明寺に到着。

会津正規兵の行列は4キロ以上も続いたそうです。

京都入りは、家訓に順じて藩主松平容保が決意されたそうです。

「蒔を背負って火を防ぐようなもの」と反対する家臣もいましたが、

京都を死に場所と決め、家臣一千名を率いて京都入りされました。

遠い会津の国から命をかけて京都を守りに来ていただいたと思うと、

会津に足を向けて寝られません!

黒谷さんには約300坪の敷地に『會津藩殉難者墓地』が有り、

文久2年~慶応三年の5年間に亡くなられた237霊と

鳥羽伏見の戦いの戦死者105霊を祀る慰霊碑があります。

会津墓地

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