29 Sep島原③

先週からの続きです。

京の花街の筆頭株だった島原が寂れていったわけは・・・

決定的なダメージを与えたのは、明治維新です。幕末の頃、

ここのメインのお客様は、帝を中心とするまわりのお公家さんや、

そのお公家さんや朝廷などに出入りをする裕福な商人でした。

それが明治の初めに天皇が東京へ行かれると、みんなくっついて

行ってしまったのです。そして、薩摩や長州など多くの大名屋敷があり、

そこの武士たちが、ここへたくさん遊びに来ていました。

新撰組も来ていました。( ↓近藤勇直筆の屏風)

近藤勇

(↓桂小五郎直筆の掛け軸)

掛け軸

そういう方たちが明治維新でみんないなくなり、商売がなりたって

いかなくなったのです。輪違屋さんもお茶屋と兼業するには

そういうところに理由がありました。島原の地盤沈下はずっと続き、

昭和60年には島原は花街から脱退します。その時点で京は

6花街から5花街に。さらに平成元年になると、芸奴、舞妓がゼロになり、

後継者がいなくなったのです。その時に数名残った太夫を引き取り

現役を貫いたのが輪違屋さんです。島原は日本で一番古い由緒ある花街です。

現役を張っているのがこの輪違屋さんだけ。いつもは営業しているので、

公開できません。今回の公開は10年ぶりです。

観覧謝絶

株式会社IPSコスメティックス インコ

 

 

 

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