15 Sep島原①

島原で現在も営業している置屋「輪違屋」さんと、揚屋建築の

唯一の遺構として重要文化財に指定されている「角屋」さんが、

特別公開されていました。それをご紹介するまえに、

ちょっと島原について語りたいと思います。こちらが、島原の入り口、大門です。

門

京都の島原といえば、江戸時代以来、公許の花街(カガイ)として

発展しましたが、もとは数度の移転の後、現在の地に移転したのが1641年です。

人口が増え、風紀上の問題があるからもっと辺鄙なところに行きなさいと、

あからさまに辺鄙な場所を指定されたのが、現在の島原です。

現在は住宅が建ち並んでいますが、当時は薄野が広がり、

沼地でレンコン栽培がされ、水田があり、壬生菜の原産地もこの辺りだそうです。

それに加え、すぐに移転しなさい!という命令で、てんやわんやの大騒ぎ。

この4年ほど前に九州で起こった島原の乱のことを、

京の人たちが引越し騒ぎにたとえ、このてんやわんやは

島原の乱のようだと言い、それがここの地名になりました。

実は島原は、あくまで俗称なので、地図には載っていません。

でもタクシーの乗って、「島原まで」というと、確実に連れていってくれます。

島原入り口

さて、もともと島原という花街は、置屋という商売と揚屋という商売の分業で

成り立っていました。揚屋は今でいう高級料亭。揚屋で宴会する時に接待する

きれいどころ(太夫や芸奴)の本締めが置屋。

その置屋業から始まり、創業が元禄元年、約330年続いている

「輪違屋」さんを次週はご紹介する予定です!(つづく)

株式会社IPSコスメティックス インコ

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