21 May東寺 Part4 (観智院)

普段は一般公開されていない観智院。

床の間には宮本武蔵筆の鷹の図と竹林の図が描かれています。

ちょうど、書院造りが確立される移り変わりの途中にできた建物なので、

所々おかしなところがあります。たとえば、通常、表門にある車寄せが

客殿についていたり、床の間と段違い棚のバランスが悪かったり。

また、客殿の竿縁ですが、床の間と垂直になっているため、

切腹天井とも言われています。

普通は床の間と並行にないといけないものだそうです。

そして、徳川家康が天下をとり、応仁の乱で焼け野原になった、京都の寺院復興に

力を注いだ際、同じ大工があちこちの寺院の復興に関るので、1間の長さが違うと

不便だったため、この時に<1間=6尺=約1.8メートル>に統一されました。

それまでは、長さを表す1間は、柱から柱までを言い、建物によって

まちまちでした。江戸間と京間ではサイズが違いますが、地域が違うため

問題なかったそうです。観智院の客殿は、1間の長さが統一される前に

建てられたので、数種類の長さが存在しています。

このように、観智院の客殿の造りは所々、変なのですが、そのような造りのものは

他に残っていないため、貴重とされ、国宝となっています。
 

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