11 Apr大徳寺~黄梅院~

大徳寺は鎌倉時代末期、1315年に開創後、室町時代には応仁の乱で荒廃しましたが

一休和尚によって復興されました。

桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営んだ寺院です。

また、山門(写真↑:重要文化財)の二階部分を千利休が増築した際に、

金毛閣と称し、利休の像を安置したことから秀吉の怒りをかい、

切腹を命じられたというお話しも有名です。

大徳寺の塔頭の1つである黄梅院は、通常非公開ですが、

現在、春の特別公開中です。

黄梅院は1551年に信長が、父・信秀のために小庵を建立したのが始まりです。

本堂の周りには3つの庭園があり、そのうちの1つ「破頭庭」は、手前半分を

白川砂、奥には苔を配し、観音・勢至の二石でまとめられた簡素な庭です。

白川砂と苔が、海と陸を表しているそうです。

また、東端には釈迦を表したといわれる沙羅双樹が植えられ、その右側に、

人を表した石があり、釈迦にひれ伏す人を表していると言われています。

一部の屋根には魚の尾の形した飾りがついており、これは魚が水に関係することから

火災から建物を守るという意味があるそうです。

ちなみに、名古屋城のシャチホコも同じ意味合いがあるそうです。

庫裏(写真↑)は昭和60年に解体修理が施されましたが、日本に現存する

禅宗寺院の庫裏としては最古のものです。

写真撮影禁止だったため、内部はご覧いただけませんが、

本堂・庫裏ともに重要文化財です。

 

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